長岡赤飯の「謎」に迫る – なぜ長岡の赤飯は醤油味なのか?

赤くない「赤飯」の正体

全国の皆さんが「赤飯」と聞いて思い浮かべるのは、小豆(あずき)やささげの煮汁でほんのり紅色に染まった、おめでたい日のご飯でしょう。しかし、新潟県長岡市で「赤飯」と呼ばれるものは、見た目が全く違います。それは、ふっくらとしたもち米濃い茶色に染まり、金時豆が入った上に白ごまが振られた、まさしく「おこわ」のような姿をしています。

この茶色いおこわこそ、長岡市民が愛してやまない郷土の味、江口だんごの「長岡赤飯」です。

長岡の家庭では、お祝い事はもちろん、普段の食卓にも当たり前に登場します。初めて目にした人は、「これは醤油おこわでは?」と首をかしげるかもしれません。しかし、長岡ではこの醤油味こそが「赤飯」なのです。この色の違いと、独特の醤油の香ばしさに、長岡の歴史と文化の深いつながりが隠されています。

醤油味になった、二つの有力な説

なぜ、長岡の赤飯は全国的にも珍しい醤油味になったのでしょうか?確かな文献は残っていませんが、主に二つの有力な説があります。

1. 代用から生まれた「ささげ不足説」

一つは、「昔、長岡ではささげ(豆)が採れにくかった」という説です。 一般的な赤飯は、ささげの煮汁でもち米を赤く染めます。ささげが貴重で手に入りにくかったため、その赤い煮汁でもち米を着色することができず、身近にあった醤油で色付けを代用したのが始まりというものです。赤い色にこだわるよりも、日常の恵みである醤油で風味と色をつけた、長岡の人々の生活の知恵から生まれた説と言えます。

2. 醸造文化が育んだ「発酵のまち説」

もう一つは、長岡が「醸造のまち」として栄えてきた歴史的背景から生まれた説です。 長岡市には、江戸時代から続く老舗の醤油蔵や味噌蔵が集中する「摂田屋(せったや)」地区があり、古くから発酵文化が根付いてきました。良質な雪解け水と信濃川の水運に恵まれたこの地で、醤油は最も身近で重要な調味料でした。

そのため、お祝いの席の特別なご飯にも、家庭で当たり前に使われてきた醤油が自然と使われるようになった、という考え方です。この説は、単に色付けの代用というだけでなく、長岡の食文化そのものが生み出した味として、説得力があります。

江口だんごが守り、伝える長岡の味

江口だんごの「長岡赤飯」は、そんな長岡の郷土の味の伝統を今に伝える逸品です。

同店の赤飯は、地元の伝統的な醸造蔵の醤油地酒で味付けされ、良質な新潟県産もち米と、甘みが特徴の国産金時豆が使われています。昔ながらのせいろで丁寧に蒸し上げることで、もち米一粒一粒がふっくらと立ち、醤油の香ばしさと金時豆の優しい甘みが絶妙に調和した、故郷の味に仕上がっています。

江口だんごでは、この醤油味の赤飯を「長岡赤飯」と名付け、地域文化として大切に広めています。

この茶色の「赤飯」は、長岡の歴史、そして人々の暮らしの中から生まれた、唯一無二のソウルフードです。長岡を訪れた際は、ぜひ江口だんごの「長岡赤飯」を味わい、その奥深い歴史と長岡の発酵文化に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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